2001年03月25日
呉羽山のインクライン
今日は富山市郷土博物館の主催による、「街道を歩く・呉羽山越え街道の変遷」というツアーに参加してきました.ちなみに学芸員を除くとどうみても私が最年少の高齢ハイキングです.
呉羽山は、富山県の中央にある「山」というより、「丘」みたいな山で、市街地の近くにあって市民にとってはとても身近な山です.
ツアーでは江戸期から昭和にかけての山越えの道の変遷をたどったわけですが、交通手段の変遷とともに街道が移り変わりながらそれぞれの道が交錯していて、なかなかおもしろいものがありました.
で、その呉羽山には、戦前にインクライン(ケーブルカーみたいなもん)があって、実はインクラインの話をヒアリングするっていうのも今回の目的の一つであったりしたわけです.インクラインの存在は話には聞いていたんですが、どこかわからないままでしたので、この機会にまわりのじーさんや学芸員にヒアリングしようということです.
学芸員の方の話によると、大正末期から数年間存在していたようですが、運行していた会社が「夜逃げ」してそのままつぶれてしまったとか.
当時、市電は「呉羽公園下」(現在の安養坊あたり)というところまで伸びていて、市電の終点から、インクラインに乗って、呉羽山の山頂にむかう一つの遊覧コースになっていたようです.呉羽山山頂駅付近には、大正天皇が富山市を一望したといわれる東屋、日露戦争に使用した大砲なんかがあったとか.山麓駅には「山の堺捨」という旅館があったという話です.
現在はインクラインの跡は全く残っていないようですが、当時、インクラインのあった東側斜面には桃畑があったそうで、その畝の跡が途切れているところがインクライン跡ではないかと学芸員の方は推理していらっしゃいました.
ちなみにこの学芸員の方、インクラインの跡を探して山狩りしたそうです(笑).
じーさん方からはまともなヒアリング結果は得られませんでした(笑).