2009年07月04日
海王丸
如意の渡し
2009年03月15日
マンホール
フェリオ南西角のマンホール。
戦前のものなのか、右から左へ字が書いてあります。
2008年10月19日
富山駅地下道
2008年10月18日
有峰林道小口川線
長らく閉鎖されていた、まぼろしの有峰林道小口川線が今年は開通。
小口川第二発電所のそばを通るも、北電社員がわらわらといたので断腸の思いでスルー。
2008年08月03日
デ3533
とうとう壊されるということで、地鉄が撮影イベント。
鉄度極めて高し。
2008年07月20日
チャンドラ号
砺波チューリップ公園で時間つぶし。
大変荒れた公園でがっかりしました。
写真は戦前活躍した消防自動車ですが、周りは物置状態です。悲しい。
2008年05月17日
射水線跡
新幹線が出来るので、壊されてしまいました。
場所はこのあたり。北陸線のオーバーパス南側の築堤を撤去中です。
2008年04月05日
常東用水
水が干上がってるしちょっと河床まで降りてみるかと降りるところをさがしていたところ、
2008年01月26日
二塚の専用線
道に迷っていたら、機関車が農道の真横を通り過ぎていきました。
2007年12月02日
常東用水
常願寺川右岸の常東用水。
流れの急な常願寺川沿いだけあって、農業用水ながら写真のように百mおき位に落差工があります。
たまたま水の流れのない状態だったので底が見えました。
三面コンクリートじゃなくて、石積みだったとは。
2007年07月22日
浜加積駅
隣の西魚津駅もモダンな意匠が残っていました。たぶん昭和の頭の建築。
2007年06月24日
岩峅寺
地鉄岩峅寺駅にて。
2007年03月26日
壊されるところ
南富山駅にずっとあったちっちゃい電車が運ばれるところ。
このまま壊されるのだと思います。
2007年03月05日
水路橋
旧大山町大川寺にある水路橋
防災上の都合で一カ所で取水(合口化)された用水を、右岸と左岸に分けるための水路橋です。それぞれ常西用水と常東用水になります。
暴れ川の常願寺川の中にあって、戦後かけられた古い橋はすでに鉄骨が見えるなど満身創痍です。
いい雰囲気の橋なんですが、適当に意匠を継承したような新しい橋にまもなく架け替えられてしまいます。
2006年10月28日
新神通川橋梁
明治41年(1908)にできた県内に残る最も古い鉄橋です。
県内の土木モノとしては、古さ、規模、メンテナンス、育ちの良さなどピカイチですが、ただ地味です。
もともと北陸線が走っていたこの鉄橋、県内を通る北陸本線のこのほかの鉄橋は50年ほど前に複線電化されたときに新しいものに掛け替えられてしまいました。しかし、この鉄橋だけは当時線路を共有していた高山線を分離するために残り、今は高山線用として使われています。
北陸新幹線が通ってもきっとこの鉄橋は残ると思いますが、おそらく写真で言うと手前側(新神通川橋梁を隠すように)に新幹線用の橋ができると思いますので、この姿ももうしばらくしたら見ることができなくなるかもしれません。
富山大橋
昭和11年に完成した富山大橋。
奥の方にクレーンが見えますが、先日から掛け替え工事が始まりました。
2006年08月16日
立山砂防軌道
5月に国の「登録記念物」になった立山砂防軌道。
4月にできた登録記念物制度の中で遺跡関係として全国初めての登録だそうです(富山県HPによる)。
でも「遺跡関係」って?
本線は立ち入り禁止ですが、常願寺川沿いのアルペンルート駐車場にそってある訓練軌道は、そばまで寄ることができます。
訓練軌道ではありますが、雰囲気あります。
2006年08月05日
くろよん
仕事で2泊3日で黒四ダムへ。くたくたになりました。
岩盤に突き刺さるUFOのみたいな展望台。
下の岩盤を覆うマッシブなコンクリートと相まって、インチキ臭い現代建築よりよほどかっこいいです。
投稿者 inouye : 20:19
2006年03月20日
笹津橋
国道41号の神通川に架かる旧笹津橋
登録有形文化財に指定されています。
昭和16年に架けられたRCアーチの橋です。
何年か前からライトアップされているんですが、その姿を見るには獣道を降りてゆかなくてはなりません。
2006年02月19日
越中八尾駅
高山線の越中八尾駅。
高山線は昭和の初めに富山まで開通して、越中八尾駅は昭和2年にできました。
話によるとちょうどそのころ七尾線の七尾駅の改築があって、この駅舎は七尾駅を移築したものだとか。
そういえば、まわりの駅とはどこか雰囲気が違うような気がします。
七尾駅の駅舎は明治30年代に出来たもののようなので、もし移築の話が事実なら、県内最古の鉄道構造物になるのかもしれません。
2005年04月15日
大川寺遊園跡
平地では桜が満開です。
ここには桜の木がたくさんあって、昔は開花情報が新聞に載るほどの桜の名所だったんですが、手入れがされないと、桜の花も咲かないようです。全くみすぼらしい状況でした。
写真は大川寺遊園跡に唯一残る「大観望」
2001年09月16日
円筒分水その3
上市川上流、釈泉寺左岸にある円筒分水。
5/28に見た水門のすぐ下流にありました。山と川に挟まれた狭い場所で「まさかこんなところに」というようなところにこっそりありました。ちょっと時期が悪かったので、草ぼうぼう、蜘蛛の巣はりまくりで、近づけませんでした。5月にいけばちゃんと草刈りもしてあったんでしょうが。
2001年08月22日
蟹寺発電所
猪谷の奥にある、関西電力蟹寺発電所のインクライン。
祠があったりして、なんかいい雰囲気を醸し出しています。
2001年07月17日
庄川水力電気
庄川町市街から小牧ダムまでの間を、小牧ダム建設のための資材運搬のために
作られた鉄道のトンネル跡です。なんのことはないトンネルです。関西電力の
小牧発電所の南にあります。
大正の末にできて戦前に廃止になりました。
この鉄道については、ダムを建設する電力会社と、河川を物流に利用していた
飛越木材という会社の間で起こった血みどろの事件の舞台となっているのです
が、それはT-maniaにアップ時に。
これは、小牧発電所の裏にある石碑です。明治の初めのもので五箇山までの街
道が整備されたことを記念する石碑のようです。
バーミアンの石窟のように、自然石をくりぬいて作ってあります。迫力ありま
す。
2001年07月16日
神岡鉄道
笹津から神岡の間、約40kmを結び、鉱石などを運んでいた神岡鉄道の遺構(橋
脚)です。
笹津の旧道沿いにあります。
笹津から途中の猪谷の間は、高山本線が開通した昭和6年には廃止されています
から、実に70年も前のものになります。
で、これがすごいのは、後ろの倉庫。この橋脚を抱きかかえるようにして建っ
ています。
たいがい古い倉庫ですが、なにしろ相手は70年も前の橋脚。壊そうとしたも
のの叶わず、あきらめて取り込んでしまっています。
半分壊しかけた橋脚の、微妙な曲線に合わせて壁の板を切り取っている細工が
泣かせます。
2001年06月26日
小水力発電所
発電所めぐりをしてきました。
神通川左岸を流れる牛ヶ首用水にある北陸電力の発電所は、大正の終わりから昭和の初めにかけて作られました。八尾町から婦中町のわずか5km足らずの間に6カ所(上流から、薄島、成子第一、成子第二、五平定、四ツ屋、下井沢)も発電所があります。そのいずれも1000kW内外のとても小さな発電所で、有効落差も5m位。普通の水力発電所の1/10以下です。
田圃の真ん中に、ぽつんとある三角屋根の建屋はとても愛らしくて、およそ発電所らしくありません。
下井沢発電所
でも、近寄ってみるとインフラ系だけあって余水吐けはけっこうな迫力があります。
五定平発電所
こういう小さいけれども、需要地近接型でかつ化石燃料を使わない発電システムというのは、今もっとも求められているモノなのですけれど、婦中町には半世紀以上も前からあったんですねー。
2001年06月17日
立山鉄道
大正2年に開業し、昭和11年に現在の富山地方鉄道に吸収されて消滅した立山鉄道の遺構です。
現在滑川~上市の間は、現在の地鉄本線になっていますが、上市~五百石間は昭和7年に廃止されています。
現在は上市~寺田~五百石と結んでいるところを、上市~五百石間をショートカットしているわけです。
で、立山町の辻の民家にある当時の客車です。現在は半分にちょんぎられています。
上市警察署近く、白岩川を渡る手前に残っている、小さな川を渡る橋台の跡です。田圃のなかにぽつんとあります。
もうこうなっちゃうとなにがなんだかわかりません。
投稿者 inouye : 15:37
2001年04月24日
恵比寿塔
高岡市川原本町の千保川沿いにあります。
千保川は旧庄川だそうですが、恵比寿塔のあるところには昔、小さな港というか荷下ろし場があって、恵比寿塔はその目印(灯台みたいなもんか)だったとのことです。
いまは唐突に町の中に立っています。
でも、このあたりは昔の名残か、水産物加工のお店が多いようですね。
2001年04月16日
呉羽
今日はお休みだったので、家でゆっくりしていました。
昨日の花見のために借りた紅白幕と、緋毛氈を返しに呉羽方面まで行きました。
で、こねた。
呉羽の旧8沿いの「呉羽会館」前のベンチ横の灰皿?のようなもの。
よく見ると「そうがわ」と書いてあります。所謂、「阿部定」状態で根っこのところしかありませんがどう見ても街灯の足の部分です。どうして総曲輪からわざわざこんなところに移してきたのでしょうか?
次。呉羽にある問題の桐朋学園の敷地内にある廃墟です。
平成4年に富山市に売却され「舞台芸術パーク」として周りは綺麗に整備されているんですが、ここだけぽつんと廃墟です。
もともと呉羽紡績の事務所棟だったわけで、それなりの産業遺産としての価値を認めて取り壊さずにいるのでしょうが、横浜の根岸競馬場のようなテイストです(周りとの対比が鮮烈という意味で)。
工場棟の方は綺麗に整備されてスタジオとして第二の人生を歩んでいるのとは対照的です。かつてはこちらの建物の方が輝いていたはずなのに。